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2021-05-12

『理事長のひとりごとvol.53』~「秋津古墳群のお話し」

 新型コロナウイルス感染予防のために第3次の緊急事態宣言が発令されています。不要不急の外出を避け、ステイホームが呼びかけられていますが、皆さん不自由な思いをされていることと思います。一日も早く通常の生活に戻りたいものです。
 さて、私たちの地域は、ちょうどゴールデンウイークの時期が山田錦の播種(はしゅ:種まき)や畦の草刈、水路の掃除などの農作業の時期と重なるため、子どもの頃はもちろん、これまでも旅行などに出かけたことがありませんでした。
 でも、今年は長男と戸主の交代をしたため、地区の行事に手を取られることもなく、色々な作業が早くできたので新緑まぶしい秋津富士へ登ってきました。
天候は晴れ、登山道を登り始めると少し汗ばむ感じでしたが、小鳥のさえずりを聞きながら頂上へ到着しました。
 頂上にある古墳については、以前にもお話ししましたが、今回はこの秋津古墳群についてもう少し詳しくお話しします。(注1)

 私の住む秋津地区(注2)には、秋津古墳群1号墳から13号墳の13基の古墳があるようですが、地元住民でもあまり訪れることもなく、中には朽ちたものや何処にあるのかもわからない古墳もあります。
 そこで、現存する古墳の中でいくつか紹介します。

①【秋津古墳群第2号墳(加東市指定史跡)】・・古家地区所有
・「秋津富士登山道沿いの尾根に築かれた直径約16m、高さ2.2mの円墳で、石造りの内部は南側に開口があり、長さ3.7m、幅1.8mの玄室(注3)に、長さ2.7m、幅0.75mの羨道(注4)が設けられています。羨道が玄室の中央線上に設けられた『両袖式』と呼ばれる様式の横穴石室です。(注5)」
地区の人たちもあまり訪れることもなくひっそりと佇んでいます。

②【秋津古墳群第3号墳(加東市指定史跡)】・・古家地区所有
 ・「秋津富士の山頂部に位置する直径約16mの円墳。内部には南側に開口した長さ3.7m、幅1.8mの両袖式の玄室で、長さ2.7m、幅75cmの羨道を内部構造とする横穴式石室です。秋津古墳群の中でも最も高い所に立地していることから、当時の非常に有力な人物が埋葬されているものと推測されています。(注5)」
平成25年に危険防止のため入り口に門扉が取り付けられましたが、それまでは玄室内部まで入ることが出来ました。天井には大人が手を伸ばしても届かなかったイメージがあります。

③【秋津古墳群第5号墳】
 ・秋津台の別荘地内にある古墳で、玄室長が6.5m、高さ2.75mと加東市内では最大の石室のようです。バブル期に地区外の方が購入して別荘を建て、物置として使われていたようですが、今は隣接する居宅が廃墟となっています。

④【秋津古墳群第6号墳】
 ・5号墳の隣にある古墳です。石材が露出して南側の羨道部が崩落しています。この土地も別の地区外の方が別荘として購入されたようですが、居宅は廃墟となっています。

 ③④とも個人所有地の中にあるため、道路からは入ることが出来ないので古家地区が所有する馬塚池の堰堤を通っていくことになりますが、雑木が生い茂っているうえ一部が崩落しているのであまりお勧めできません。
 もし、見に行かれる方は自己責任でお願いします。

 秋津富士山頂の3号墳の紹介に、『秋津古墳群の中でも最も高い所に立地していることから、当時の非常に有力な人物が埋葬されているものと推測されています。』とあるように、どのような人が埋葬されていたのかと想像するだけでもロマンをかき立てられる気がします。
 でも、地区の人たちも秋津富士の3号墳は知っていてもその他の古墳は知らない方が多いようなので、折に触れて話していきたいと思います。
 さて、皆さんの近くにも沢山の古墳があると思いますので一度調べられてはいかがでしょうか。ちなみに、兵庫県の方は(注1)のホームページが参考になると思います。

(注1)秋津古墳群の情報・・「兵庫県立考古博物館」ホームページ・埋蔵文化財調査、兵庫県遺跡地図を参照
(注2)秋津地区・・古家、常田、西戸地区の総称(旧の行政単位)
(注3)玄室(げんしつ)・・埋葬する部屋
(注4)羨道(せんどう)・・玄室へ至る通路
(注5)第2号墳、第3号墳の情報・・「加東市」ホームページ・市指定文化財

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